会社で働いて給料をもらう。
たいていの人が持っている経験だ。
早い人なら高校生の時点でやっている、ごく当たり前のことである。
だが、自分がなぜ給料をもらえるのかを考えると、そこには厳然たる事実が存在する。
「給料」を得る仕組み
事業体というものは民間、公共を問わず、事業を通じて社会に何らかの「役に立つ」を提供し、その対価として金銭を得る。
そして、「役に立つ」の担い手として、金銭と引き換えに労働力を確保している。
この「労働力」こそが、我々、従業員である。
従業員は、社会に対する「役に立つ」を事業体が遂行するために必要な労働力を提供している。
事業体に対して「役に立つ」を提供しているから、従業員は給料という形で対価を得ているのだ。
この原理原則を忠実に守るなら、雇用主である事業体が「この従業員は役に立っていない」と判断したなら、当該従業員へ給料を支払う必要はない。
だが、日本では被雇用者が手厚く保護されているため、この原理原則は非常に見えにくくなっている。
価値を提供していなかった私の失敗談
さて、ここからは私の苦い経験を話そう。
私は会社員として6年勤務した後、一旦家庭に入り、その後起業した。
事業内容は代行業であり、きっかけは依頼を受けたことであった。
依頼を受けての創業であったため、当初は依頼主に対して「役に立つ」が提供できていた。
ただ、ここからが良くなかった。
あまりにも簡単に事業収入が得られたせいで、「役に立つ」の境界線を見誤ったのだ。
「何かのサービスを提供すれば、価値を感じてくれる人は自然と集まる」
自分なりに「これは役に立つメソッドだ」「これを知れば行動できるようになる」と考え、様々なセミナーを実施した。
だが、一向に受講者は現れず、閑古鳥が鳴く状態。
代行業は続けていたので収入が落ちることはなかったが、焦っていなかったと言えば嘘になる。
散々、失敗を重ねた挙句、ようやく販売に結びついた商品。
それは「私が手掛けていた代行業の始め方」セミナーだった。
当時、主婦の副業として注目され始めており、時代の潮流に乗っていたのだ。
独りよがりな「これは役に立つ」は、顧客にとって何の役にも立っていなかった。
だが、私としては何の価値も感じなかった「代行業の始め方」は、多くのユーザーにとって喉から手が出るほどほしい情報だったのだ。
「役に立つ」を履き違えると、徒労に終わる
以来、私は「役に立つ」を基軸に事業を構築してきた。
先述の「代行業の始め方」に至っては、10年以上、弊社の看板商品であり続けている。
勘の鋭い人ならば、他人にとっての「役に立つ」を感じ取り、事業展開できるだろう。
しかし、残念なことに私はこの種類の勘を持ち合わせていないので、依頼されたことを実行する形で事業を継続している。
私は事業を持っているので、仕組みが少々複雑になってしまった。
一方で、会社員であるならば話は非常に簡単だ。
まずは会社の求めに応じて、社会に対して会社が「役に立つ」を提供するために働く。
これさえできれば、対価として確実に給料が得られる。
従業員の役割は事業体に対して「役に立つ」を提供することである。
そして、従業員として「役に立つ」を満たす条件は、ただひとつ。
「会社は何の目的で、この業務を自分に振っているのだろう」を考えて、適切に実行することだ。
「社会の役に立つ」という同じ目的を持った、運命共同体である。
会社は決して、従業員の敵ではないのだ。

