LINEは放置なのに、年賀状だけは書く理由

私を知る人が口を揃えて言うことがある。

「LINEの返事が、なかなか来ない」
「LINEの返事よりも先に、本人(私のことだ)が来る」

つまり、LINEの利便性である「すぐ」「気軽に」連絡が取れる機能を、私は満たしていないというわけだ。

その一方で、私は毎年、10通ほど年賀状を出している。
これらの年賀状は、文面も、そして住所もすべて手書きだ。
その上、LINEでの年賀の挨拶はまったく行わない。

なぜ、一見すると非効率な年賀状というツールを使い、日常のLINE返信は後回しにしているのか。
ここには明確な意図が存在している。

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LINEは割り込みツール

私にとってのLINEは、正直に言うと「邪魔者」だ。
集中している時に限って通知音が鳴り、強制的に思考を停止させる。

自分の意図しないタイミングで無理やり割り込んで来るLINE。
この招かれざる客を排除するため、家族とかかりつけの病院、そして学びを得るために依頼しているメンター以外から来るLINEの通知音はすべて切っている。
そもそも通知音が鳴らないのだから、返事などするはずもない。

私にとってのLINEというものは、1日に1回、夜になってからざっとスクロールする程度で十分な存在だ。
急ぎの用件、タイミングが重要な用件が来る相手は、私にとって家族と病院、そしてメンターしかいない。
この設定に変えてから2年近くが経過したが、困ったことやトラブルに巻き込まれたことは一度もない。
つまり、すぐに返事しなくても問題ないのだ。

年賀状は大切な人へ送る、メッセージ

話は変わって、年賀状。
「年賀状を卒業する」という連絡を最後に年賀状を出さなくなる人が増える中、私はあえて年賀状を使い続けている。

私が年賀状を出す理由、それは自分の肉筆を通じたコミュニケーションに重きを置いているからだ。

機械的に作成、送付された全面印刷の年賀状を受け取って、うれしさを感じる人は稀だろう。
だが、1枚ずつ手書きで書かれた「自分宛てのメッセージだ」と明確に分かる年賀状なら、話は違う。
その破壊力たるや、すさまじいものがある。

しかも、1枚書くのに必要な時間は、せいぜい5分だ。
このメンテナンス性の高さもまた、私が年賀状を選んでいる理由である。

「あの人は元気なのだな」が、年に1回の、たった1枚の年賀状だけで色濃く伝わる。
この年賀状が持つ能力を信頼しているからこそ、私は今でも大切な人へ手書きの年賀状を送り続けているのだ。

たった1回のメッセージに、どれだけの重みを乗せているか

私は通数を重ねる形の「LINE」というツールに、いまだに馴染めずにいる。
個人的な主観であることを承知の上で言うならば、どこか浮ついた感覚を覚えるのだ。

また私は、初対面の相手とLINEの交換をすることはないし、ママ友程度の付き合いならLINEを明かすことはない。
なので、私のLINEを解放しているのは、自分よりも優先してもいいと思える、大切な人だけに限っている。

その点、年賀状は私の集中を、そして心を乱すことはない。

「今から年賀状を書く」と自分の意思で決め、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、ていねいに言葉を綴って宛先を書き込む。
元旦になれば私の大切な人たちの手元に届き、年に一度のコミュニケーションが成り立つ。
この静けさこそを、私は買っているのだ。

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この記事を書いた人

地方に住む、普通の主婦。
2010年から在宅で仕事をしています。

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