「中学を卒業したら、高校へ」
「高校を卒業したら、さらに上の学校へ」
「できれば、大学へ進学してほしい」
日本に住む子どもを持つ親の多くが、何の疑いもなく持っている発想です。
ですが、私はそういう価値観を持った家庭で育った人間では、ありません。
高等教育の選び方・梅野家の場合
さて、まずはちょっとおさらいを。
梅野家の最終学歴・まとめです。
夫:某国立大学・工学部卒(ひとり暮らし)
私:某国立大学・経済学部卒(実家から通学)
娘:某公立大学・経済学部と工学部が合体したような謎の学部(笑)卒(ひとり暮らし)
息子:高校卒業後、公立の農業系専門学校へ進学。現在、在学中(実家から通学)
なぜこうなっているかの経緯を知りたい方は、こちらをご覧ください。

結果だけ見れば、ごく普通に思えます。
娘は公立大学を卒業し、息子は公立の専門学校へ自宅から通っている。
ただ、ここに至るには、とあるストーリーがありました。
梅野里香は、どうやって進学したのか?
さて、母である私、梅野里香自身は、大学進学にあたって悔しさを感じたという歴史があります。
あれは高校3年の11月だったと思います。
国公立大学の受験を決めていた私は、1ヶ月前にセンター試験の願書を出していました。
そして、2学期の終わりに実施される三者面談の日。
母と一緒に、担任の先生の前に座ります。
私の成績だと、だいたいこれくらいのランクの大学が視野に入ること。
最終的にはセンター試験の結果で、国公立の受験校を決めること。
そして、今日は受験する私立大学が内定すること。
これらを先生が説明していきます。
なのにここで、母がまさかの発言をしたのです。
え、うちの子、就職してほしいんですけど。
私立大学なんて、とんでもない!絶対受けさせません!
少しでも大学進学を考えたことがある方なら、これがどれほどありえない発言であるかはおわかりいただけるでしょう。
私の高校は、入学した生徒は基本的に大学を受験する、いわゆる進学校です。
しかも、センター試験の願書はもう出しているのです。
ウン10年前のこととして思い出しながら書いている私でさえ、今でも「ないわぁ」です。
なので、先生の唖然とした表情。
「いやいや、お母さん。今さらそんなこと言われても…」が、忘れられません。
(先生、その節はスミマセンでした)
というわけで、最終的にはこんな条件を両親から出されました。
- 進学先は国公立大学のみ
- 自宅から通える大学しか選べない
- 現役で合格すること。浪人はダメ
この条件に当てはまる大学は1校しかないので(国公立なんて、そんなもんですよね)
3ランク落として、私、梅野里香は大学に進学しました。
成績は足りているのに、希望の大学を受験することすらできなかった。
この経験が、子どもたちの進学に大きな影響を与えます。
子どもの進路は、どう考える?
先ほども書いた通り、自分の進学で驚愕の事件が起きてしまったので、子どもの進学費用についてはそれこそ生まれる前から考えていました。
- お金のせいで、希望する進路が選べない事態は絶対に避けたい
- でも、大学進学には多額の費用が発生する
- 準備できる進学費用には、限度がある
「さて、どうしよう」というわけです。
何年もかけてたどりついた結論、それは
親が責任を持って負担できる範囲で、進路設計をしてもらう
やはり私立は高いので、進路は国公立から選んでもらう。
これならば、学費は一定ラインに留めることができるはず。
その代わりに、費用は親が全額、負担しよう。
これが、私、そして夫が決めた、梅野家の進路に関する方針です。
そして、私のようにギリギリになってケンカしないよう、子どもたちには10歳頃からこの方針は伝えていました。
前もって「こうだよ」を告げておけば、余計な争いを避けることができます。
さらに、子どもの興味や適性を見極めて、学費が高い進路を希望する可能性は低いだろうという確認も終わらせた上での行動です。

結果として、冒頭で挙げた進路を子どもたちは選び、娘は奨学金を利用して進学しました。
卒業後の返済は、私がしています。
子どもの進路、どう考える?
今回は私自身の大学受験について、取り上げました。
「もう悔しさはない」と言えば、嘘になります。
でも、今は「自分も親になった」という違う視点を得た結果、「あの時、親はせいいっぱいのことをしてくれたんだな」と思えるように変化しています。
そんな私は、大学の学費を「親が全部払うべき」とも、「子どもが全部払うべき」とも思っていません。
親と子で話し合い、お互いが納得できればそれで良い。
言い換えると、「親が責任を持って負担できる範囲で、進路設計をしてもらう」
これが私の考えです。
子どもの人生は、子どもが自分の意思で選べる環境を整える。
これが親の役割なのだろうと、今の私には思えます。
とはいえ、「お金」という現実的な問題を無視することは、難しいでしょう。
最後は「何を選び、何を選ばないのか」
ここに尽きます。

