「私が独身時代の貯金をまだ持っていることを、パートナーは知らない」
結婚している人の口からこんな言葉が出るのを聞くたびに、私は不思議でたまらない。
結婚の形は、人それぞれであるだろう。
一緒に暮らす人。
別居婚や週末婚を選ぶ人。
子どもを授かることを願い、育てる人。
「夫婦ふたりで生きていく」と決めた人。
どこに家を構えるか、もしくは定住しないのか。
持ち家か、賃貸か、親など別の家庭と同居するのか。
だが、お互いの財産はお互いが責任を持つという形に、疑問を覚えたことはないだろうか。
結婚の持つ、本来の意味
結婚とは契約の一種である。
ふたりの人間が、それぞれの自由意志によってパートナーシップを組む。
パートナーである以上、協力して日々の暮らしを営み、困難に対応する。
「結婚」という名の契約を、私はこのように捉えている。
結婚の形が人それぞれであるのは、間違いない。
100組の夫婦を集めてきたら、そのスタイルは100通りであるはずだ。
とはいえ、ことお金に関して言えば、夫婦が互いの資産状況を関知していない状態に、私は問題を感じずにはいられない。
なぜなら、今の世の中で生きていく以上、お金がなければどうしようもない場面が、まだまだ多いからだ。
「役割分担」というけれど
家庭において、様々な役割を分担するのは当然だろう。
家事や育児の負担が、どちらか片方に傾く状態を「良い」と言う人は、誰もいないはずだ。
ただ、夫婦それぞれの財産についてはどうだろうか?
夫が住宅ローンを支払い、将来に備えて貯金したり資産運用を行う。
一方で、妻は日常の生活資金を賄う。
このような夫婦がいたとしよう。
どちらも健康でしっかり働けているのなら、事なきを得るかもしれない。
ここで問題になるのは、何かが起きた時だ。
生きていたら平穏無事というわけにはいかない。
怪我や病気はもちろん、妻の妊娠出産、親の介護、急な転勤。
数え上げたらキリがないくらい「予想外の出来事」は起こるのだ。
たとえば、夫が緊急時の資金管理を怠っており、家族の誰かが病気で入院することになったとしたらどうなるか。
治療費など、保険が適用される病院への支払いはまだ耐えられるかもしれない。
だが、差額ベッド代など、保険外の費用も何かとかかるものだ。
その際に「お金がないから」と、大部屋に入院するしか選択肢がなかったとしたら。
大部屋を積極的に選び取った場合でもない限り、そこには不満があるはずだ。
もしもこの夫婦が、夫も妻も緊急時の資金について把握していたら、状況は変わっていたかもしれない。
夫が資金を準備するのが苦手だったとしても、妻が役割を変わるという道が選べたかもしれない。
収入が十分ではなく資金を準備するのに不足があったとしても、状況が見えているのでお互いに納得できるかもしれない。
問題なのは、資金がないことではない。
「資金がない」という問題を、夫婦で共有できていないことにあるのだ
自分の資産状況を、パートナーにどうしても言いたくないのなら
今を生きる以上、お金の存在を無視することはできない。
今や、地球上のどこに行っても、お金以外の何かで暮らしに必要なすべてを贖うことは極めて困難になってしまった。
「お金なんて」と思う人にとっては悔しいかもしれない。
だが、これは事実として受け止めるしかない。
「私たちは、お金の力に自分の人生を預けている」
だから私は、思うのだ。
夫婦になる以上、お互いの持っている財産は開示しておくべきだと。
生きていくだけでも日々、問題だらけのこの世の中でお互いの背中を預けられる戦友になりたいのなら、「所有する財産」というお互いの手札を晒そうではないかと。
「わたしたちは夫婦として、
順境にあっても逆境にあっても、病気のときも健康のときも、
生涯、互いに愛と忠実を尽くすことを誓います。」
これはカトリックにおける「結婚の秘跡(いわゆる結婚式)」の中で、新郎新婦が用いる誓いの言葉だ。
命ある限り、この誓いを守り続けねばならないとは言わない。
とはいえ、お互いにこれを誓約できるのなら、持っている財産をパートナーにすべて公開するくらい何のことはないのではないか。
そして、これが誓えないのなら、あえて結婚という名の契約を交わさなくてもいいのではないか。
「契約」である以上、結婚は決して軽いものではないのだ。

