「私がいないと、会社は回らない」
「母親がいないと、子どもが困る」
そう言って自分の責任を果たそうとする人がいます。
ですが、落ち着いて思い出してください。
あなたが退職した翌日から、会社は混乱しましたか?
あなたが1時間、子どものそばから離れたからと言って、子どもに深刻な被害はありましたか?
「私がいなくては」は、あなたが勝手に作り出した幻想です。
ただの幻想なのだから、あなたを苦しめるなら壊してしまえばいい。
なぜ「私がいなくては」と思うのか?
人は自分ひとりでは生きていけない存在です。
生まれ落ちた瞬間から、誰かの手を借りて大きくなったことを否定できる人はいないはず。
その延長線上に「必要と思われたい」「役に立ちたい」があります。
誰かにとって必要ならば、自分を邪険にしないだろう。
誰かの役に立っているのなら、自分を捨てたりしないだろう。
動物としての本能である「命を守る」という目的を果たすために、自分の存在意義を示すことが適切だと解釈しているというわけです。
「私がいなくては」の裏側には、自分を守りたいという本能があります。
「私がいなくては」ではなかった事例
過去、私は「自分がいなくては」に陥ったことがありません。
嫌だと思ったら、すぐに抜け出す。我慢しない。
これが私のモットーなので。
学生時代、とある役所にアルバイトに行ったことがありました。
大学経由のアルバイトであり、採用にあたって電話で両親の勤務先や仕事内容を確認するほど、身元調査が厳格でした。
ですが、仕事の実態が「職員に花嫁候補をあてがうためだ」と察知した時、迷いました。
素直な性格ではなく、特に容姿端麗でもない私は、はっきり行って「お呼びではない」状態。
ただ、ここで思うのです。
「そんな嫌な思いをしてまで、働くのか?」
「どうせ対象外なんだし、働き手としては期待されていないアルバイト枠なんだし」
「私が行かなくなったら、他のアルバイトさんや学校に迷惑なんじゃないのか」
ですが、選んだのは「自分の心の声に従うこと」
このアルバイトには、すぐに行かなくなりました。
連絡もせず、無断欠勤です。
そして、アルバイトの最終日。
役所から電話がありました。
用件は「アルバイト代を取りに来てください」
途中から行かなくなったことに対する叱責は一切なく、事務的な連絡のみ。
「働いた分を渡さない方が問題なのだろう」と、社会人になって何年も過ぎてから気づきました。
私ひとりが消えたところで、誰にも何の影響もなかったのです。
「私がいなくては」は幻想なのだと心の底から納得できた瞬間は、まさにここでした。
「私がいなくては」ではなく「私を満たすには」に変える
究極、今この瞬間、あなたがこの世から消えたとしても、誰も困りません。
あなたが担っていた役目を引き受けざるを得ない人は、不便を感じるでしょう。
また、感情的な喪失感を持つ人も、きっといるでしょう。
なのですが、これらはすべて「私がいなくては」では、ありません。
「あなたの存在は、他の誰にとっても必要不可欠ではない」
言葉にすると冷たいように見えるでしょう。
ただ、私にとっては、この事実は最大の恩恵であり、福音であると思えます。
もっと軽く生きていい。もっと自分を大切にしてもいい。
心の底からこう思えるようになった時こそが、本当の人生のスタートです。

