私は家事が苦手で嫌いだ。
先日、子どもの制服のボタン付けをしたのだが、たったひとつのボタンをつけるまでの所要時間は30分、針で指を突くこと、2回という結果だった。
その他の家事も、出来具合は似たりよったりだ。
とはいえ、一家の主婦であるので、家事の管理監督まで放棄するわけにはいかない。
自分で作業する必要は感じないものの、滞りなく家事が回っているかに関する責任は、私の手にあるのだ。
食器洗いや床掃除、洗濯物を干すといった役割を担う家電は、当然導入済みだ。
そして、苦手で嫌いな家事の中でも、特に嫌いな家事がある。
それは掃除だ。
綺麗好きというわけでもない私ですら耐えられなくなるほど、掃除を放棄することもしばしばである。
床掃除はロボット掃除機に任せても、階段やお手洗い、天井近くの埃までは、さすがに無理だ。
そこで、一時期、「家事代行サービスを利用して、まとめて掃除する」を試みた。
家事代行による分業
さて、私の依頼によりやってきた家事代行サービスの担当者。
それは、50代なかばほどの、ごく普通の主婦に見えた。
家事代行を職業に選ぶくらいなので、当然家事は好きだ。
初回は「この人で大丈夫なのか」と訝しむほど、あまりにも素人に思えたのだ。
だが、良い意味で予想は裏切られた。
この女性、あらゆる意味で「家事代行のプロ」だったのだ。
私が指定した場所は徹底的に掃除し、「これには触れないでください」と依頼した物品に対しては何もしない。
そればかりか、リビングのセンターテーブルに積み上がっていた私の仕事関連の書類や子どもたちの絵本を、一度、どこかに移動させたはずなのに、作業後には完璧に元の状態に戻しているのだ。
書類の順番、絵本の向き、積み上がった際の角度まで。
まるで1ミリたりとも動かしてないかの如く、元の姿を維持している。
これが「本物のプロ」の品質だ。
さらにたったひとつだけ、彼女が自主的に提案した事柄がある。
それは庭の草むしり。
時折自宅を訪ねてくる、家事にこだわりのある母が呆れ返るほど、庭がまるでジャングルの様相を呈していたのだ。
あまりの惨状を、見るに見かねたのだろう。
帰り際になってから、彼女はこう言い出したのだ。
「契約外ですが、よかったらお庭の草もむしりましょうか。私、草むしりが大好きなんです」
一度、室内を掃除して自分の力量を見せた後という、提案のタイミング。
さらには「草むしりが好きだ」という情報を提示することで、私への負担感を与えない配慮も、完璧だ。
両手を上げて歓迎したのは、言うまでもない。
その道の「プロ」かどうかは、判断、観察、そして機転が決める
どのような職業であっても必ず顧客が存在し、顧客に価値を提供することで対価を得るという構図は変わらない。
価値の提供という目的のもと、技量を上げることに熱心なのは悪いことではないだろう。
だが、高い技術を持っていることだけが、プロの条件ではない。
本物のプロは、自分の持つ高い技量を放つ場所を慎重に見定めている。
顧客が望まない場面では、決して動かないのだ。
先ほど例に出した家事代行であれば、頼まれた場所は完璧に掃除するが、そうではない場所には手を施さない的確な判断。
依頼主が放置している物品を、作業後に完全な姿に戻しておくための鋭い観察眼。
明らかに依頼主の評価が得られると確信できた場合にのみ、適切な場面ですかさず提案する機転。
これらを兼ね備えていた仕事ぶりだったから、何の不都合もなく安心して継続依頼へとつながったのだ。

