プライドの捨て方

人は、能動的にプライドを捨てることはできない。
ただし、条件がそろえば捨てることができる。

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プライドのある場所

誰かから指摘を受けて怒りや悲しみが出た時、そこにプライドがある。

最近の私はAIからの指摘によって、連日プライドを傷つけられている。
このブログの添削をClaudeに依頼しているが、私が決めた基準に沿って出力しているだけの相手に対して本気でケンカを売っているのだ。

私が傷つけられていたプライドの中身は、優秀な自分。
文章力に自信があると思い込んでいた私にとって、耐え難い苦痛だ。

また、実際はプライドであるにもかかわらず、誇りと勘違いする場合がある。

誇りとはすでに自分が持っているものであり、その対象は心の内側にある。
家族の自慢や愛社精神といった自分以外の対象に起因する「誇り」は、プライドである可能性が高い。

プライドが捨てられる条件

プライドが捨てられる条件は、1つだけだ。
心底、追い詰められた場合である。

私の事例を2つ提示する。

大学4年の後期、卒業に必要な単位が講義1つ分だけ足りなかった。
複数の講義で不可となっていたが、再試験が認められている講義がいくつかあった。

そこで取った行動は「最も単位取得が容易であろう」と予想した講義の担当教授のもとに出向き、「試験問題を教えてください」という直談判である。

ずっと優秀な成績を収めてきた自分は大学入学と同時に消えたと、私は思い込んでいた。
だが、実はまだ「優秀な私」というプライドを握っていたのだ。
だから私は、教授に頭を下げたくなかった。

また、5年ほど前に、私は出版コンペに参加したことがある。
結果は落選だったが、終了後に編集者と歓談する場が設けられた。

普段、私は知らない人に自分から話しかけることはしない。
無視されたり冷たい態度を取られるのが、嫌だからだ。

だが、この日は積極的に編集者に声をかけ続けた。

この時の私は、高い旅費を支払って自宅を3日空けて出向いている。
しかも、このコンペは年に1回しか開催されない。

私が払う代償の大きさを思えば、無視されることは我慢できたのだ。

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この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

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