「事実を書く」難しさ

私はブログを書く時に、AIによる添削を受けている。

添削対象は文章のねじれや言葉の使い方。
目的は文章力の向上である。

また、AIに依頼している添削項目が別にある。
それは「作文をしない」だ。

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「作文をしない」をルールにした理由

長く発信をしていると、「実は違うのだが」と思いつつ文章を綴る時がある。

公開に支障があり、詳細を省く。
他人に知られても問題ないが、私が嫌な場合もある。

これらに関しては、公開しないことを選択しているので問題は小さい。

その一方で、事実と違う文章を公開することで、過去の発信が私を追い詰める場面がどんどん増えてきている。

本当に言いたいことではなく、当たり障りない意見に終始する。
販売目的で、本心とはまるで違うことを書く。

自分を偽り続けた結果、発信に行き詰まりを感じているのだ。

事実は「唯一」なのか?

こうして私は「作文をしない」を、自らに課している。
だが、事実を書くことの難しさを痛感している。

ここで言う事実とは、実際に起きた出来事の他に私の考えも含まれる。

最近の私がブログを書く時は

文章を書く。
AIによる添削を受ける。
判定結果は、不可。

この繰り返しだ。

ここ数日の事例を列挙する。

AIに不可と判定された具体例

前の段落では、緊張する理由を「失敗を恐れているから」としています。最後の段落では「会話そのものに恐怖心があり」となっていて、恐れの対象が「失敗」から「会話そのもの」に移っています。失敗を恐れるうちに会話自体が怖くなる、という流れで読むこともできますが、その流れは本文には書かれていません。

そうすると、メモの「手書きの運用をデータ化」とは事実が少し違いますね。もとからデータにはなっていて、書式とフォントがバラバラだったのを揃えた、ということですね。

メモでは「役所で聞いたらすぐ分かる」となっていますが、奨学金の件で手続きをしたのは学校とJASSOで、学校は詳しくなかった、という体験でした。どう書くかはお任せします。

ゴールは「新たに開店した店ならではの問題点がある」でした。最後の一文「ただ立っている時間を他のタスクに振り替えれば、有意義な過ごし方に変わる」で、着地が問題点から別のところへ移っているように読めました。なぜ変わりましたか。

それでもなお、私はAIの添削を受け続ける

率直な感想は「ウザい」の一言だ。
しかし、ちょっとした事実との食い違いが、時間の経過とともに整合性の問題として襲いかかることを私は十分に体験した。

だから、AIと日々喧嘩をしながら「作文をしない」という自分で決めたルールを遵守している。

AIに不可判定を受け続けてイライラする毎日を過ごしているのは、確かだ。
それでもなおAIの添削を受ける効果、すなわち発信と実態の乖離がない自分を手に入れているのだ。

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この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

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