言葉と私の歪んだ関係

私は日々、様々な人とやり取りをしている。
その際に感謝のメッセージを受け取ることも少なくない。

「アドバイスのおかげで、うまくいきました」
「話を聞いてもらったので、また頑張れます」

このような言葉を目にした時、私は思うことがある。

「あの人は、この言葉を通じて何が言いたいのだろうか?」

目次

言葉が持つ「意味」

「ありがとう」は、感謝の気持ち。
「やればできる」は、相手への励まし。

言葉を文字通りに解釈するならば、おそらくはこれであろう。

だが私は、そのように受け取らない。

「ありがとう」は、私から何かを引き出すための枕詞。
「やればできる」は、私を切り捨てる最後通牒だ。

このような思考を持ち始めたのがいつだったかは、忘れてしまった。
中学生の頃にはすでにこうだった、という記憶しかない。

私は長年、他人の言葉を文字通りの意味に受け取ってこなかった。
さらに言えば、ネガティブな方向へ寄せることが多い。

言葉の意味を捻じ曲げて私が得ていた成果は、リスク回避。
より悪い状況を想定することで、賢くリスク管理ができていると思っていたのだ。

私が逃してきたもの

しかし先日、私は気づいてしまった。

他人の言葉をそのままの意味だと思わないことで、私は大きな損をしていたのではないか。
私のものになっていたチャンスやご縁を、むざむざと捨てていたのではないか。

「クライアントから『ありがとう』と言われたから、もっと頑張る」と話した同業者に対して、私は「安くこき使うために、おためごかしを言っただけ」と感じた。
実際は、クライアントからさらに信頼されるようになっていた。

業務でミスを出した別の同業者から「『やればできるから、大丈夫』って言われたから、安心してる」と聞いた時は「近々契約を切られるから、次を探した方が良い」と確信した。
この契約は、今でも続いている。

このように、言葉を文字通りに受け取ることで問題が発生した場面を、私は思い出せないのだ。

もしかしたら、私が続けてきたリスク回避の方法は、間違っていたのかもしれない。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

目次