家族の思い出は、旅行でつくるものなのか?

私が子どもだった頃の家族旅行には、良い思い出がない。
理由は私が旅行を望んでいなかったからだ。

昔も今もそうなのだが、私は外出を好まない。
1日、ゆっくりできるなら迷わず家に引きこもることを選ぶ人間だ。

私がそういう特性を持っているにも関わらず、両親は子どもたちを旅行に連れ出した。
そうすることが正義であるかのように。

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「思い出作りには家族旅行」に潜む思い込み

もう20年ほど前になるだろうか。
「モノより思い出」というキャッチコピーがあった。

これは物質主義から脱却し、思い出という名の体験へと商品価値が移動し始めた頃のキャッチコピーだ。

単なる物ではなく、思い出にお金を使う。
聞こえは良いかもしれないが、ここには大きな思い込みが隠れている。

それは、「家族との思い出は家族旅行でしか得られない」という思い込みだ。

だが、実際はどうだろう。
少なくとも、私の場合は明確にそうではないと言い切れる。

その理由は先ほどすでに触れた通り、私が外出を好まないからだ。
私にとって、子どもの頃の家族旅行は、良い思い出ではなく苦行でしかなかった。

休みの日には自宅でのんびり過ごしたい私と、時間を見つけては子どもを旅行に連れて行きたがる両親。
まさに水と油、まったく噛み合わなかったのだ。

家庭を持った私と夫の持つ「旅行観」

旅行嫌いの私も大人になり、結婚して家族を持った。
その間、一貫して外出嫌いは変わらないままだ。

外出嫌いの私がいる家庭の家族旅行は、このような形を取っている。

登山が趣味の夫の場合

私の夫は登山が好きだ。
「登山が好き」と言っても、何も冬の雪深い高山に挑もうというのではない。
身体への負荷としてはハイキングよりは高く、トレッキング程度である。

ただ、外出が嫌いな私にとっては、ハイキングの時点でご遠慮願いたいというのが率直な感覚。
また子どもたちにとっても、大人の足でのトレッキングについて行くのは難しいのが現実だ。

なので夫は一人で国内各地の山に行き、一人で登山を楽しんでいる。

旅行嫌いなのに移動が多い私の場合

一方で私は、旅行には一切行かない。
だが、国内各地への移動は、定期的にある。

理由は出張だ。
「仕事なので、出向くしかない」というわけだ。

ただし、この構図は2020年の春先から、大きく変化した。
移動が厳しく制限された数年間を経て、オンライン会議へと仕事の場が移ったのだ。

移動の必要性が大きく下がったので、率直に言うとホッとしている。

たった2回の家族旅行

さて、このような家族ではあるが、家族旅行に行ったことはある。
その回数は、たった2回。
一般的なご家庭と比べたら、きっと少ないのだろう。

1回目は下の子が幼稚園の頃、自宅から200キロほど離れた温泉地へ2泊3日の旅行。
道中は山間だったので、温泉に行くのが主目的だ。

2回目は上の子の卒業記念として、自宅から150キロほど離れた温泉地へ。
こちらも2泊3日だったが、途中で公園や動物園に立ち寄った。

2回とも温泉が目的地だったのは、私の意向である。
移動が嫌いなので、到着したらゆっくり休みたかったのだ。
湯治とまでは言わないが、行動を振り返ると温泉に入ってばかりの3日間であった。

夫や子どもたちと道中の会話を楽しみ、2回目の家族旅行では親子揃って動物を撫で回してご満悦。
今でも当時の写真を見返しては「あの時は楽しかったね」と言える、何物にも代えがたい体験となった。

むしろ、2回しかなかった家族旅行だったからこそ「モノより思い出」になったのだ。

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この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

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