「勉強しなさい」
親が子どもに対してかけるありとあらゆる言葉の中で、この言葉ほど意味を持たないものはない。
勉強が好きな子どもは、親が何を言っても、何を言わなくても、勝手に勉強する。
そうではない子どもがどうなるのかは、あなたが知っている通りだ。
勉強すれば選択肢が広がり、子どもの将来がより良くなるように思えるかもしれない。
だが、決してそうではない。
勉強した子、勉強しなかった子
私にはふたりの子どもがいる。
大学の経済学部を卒業して社会人になった娘、そして農業系の専門学校に通う息子だ。
すでにお察しかもしれないが、娘は勉強大好き、そして息子は学校の勉強が嫌いだ。
このふたり、進路の選択という点では興味深い違いがあった。
常に成績上位、優等生だった娘は、毎回のように進路に迷いがあった。
確かに勉強はするし、できる。
そのおかげで様々な選択肢が提示され、常に選び放題である。
そして、選択肢のあまりの多さに、迷う。
迷った挙句、選び切れずに、後から「これは違ったかも」という選択を繰り返している。
ちなみに大学受験の際は、滑り止めの後期日程の大学にしか進学できなかった。
「自分の成績なら、後期はここが妥当だろう」という観点でのみ選んだ、行きたくも何ともない大学に進学せざるを得なかったのだ。
その後も一貫して、彼女は「迷い」の中にいる。
一方で学校の勉強が嫌いな息子は、見ている親が気持ち良いくらい、進路は一本道だ。
中学生の頃から「将来は農業の道に進む」と主張し、農業高校に進学した。
さらに、高校1年の12月時点で「高校を出たらこの専門学校に進学する」と決め、高校3年の9月時点で指定校推薦にて進学先を確定させている。
学校の勉強、いわゆる五教科は相変わらず嫌いなままだが、農業系の専門科目や実習には非常に熱心に取り組んでおり、成績優秀者に名を連ねるようになるに至った。
姉と弟、両者を比較すると、その違いは明白だ。
「勉強することが、子どもの将来を良くする」とは限らないのだ。
勉強ができたせいで、不本意な生き方を選んだ子の話
勉強に対する姿勢としては、私も娘と酷似している。
前期日程の大学に進学したが、そもそもこの学部には進学したくなかった。
同じ大学の違う学部、B日程が本命で、前期日程は滑り止めだったのだ。
だが、B日程の本命は二次試験の出来映えに不安があり、前期日程の合格通知書を受け取った際に迷っている。
「前期は受かった。とりあえず大学生になる資格は得られた」
「だが、この学部に行きたいわけではない」
「前期を見送ってB日程が不合格なら、私は就職しなければならない(こういう約束で大学受験に挑んだ)」
迷いに迷い、結局前期日程の学部に進学したわけだが、学びたいことではなかったので大学生になってからはまったく勉強しなくなってしまったのだ。
成績が芳しくない女子大生は当然、就職先も選べない。
不本意な会社に就職せざるを、得なかったのだ。
そして私は、今でも後悔している。
あの時、前期日程への進学を見送るという選択を、なぜ取らなかったのだろう、と。

