私にとって「今日」という日は、さまざまな物事に思いを馳せる日です。
新たに得られたもの、そして永遠に失われたもの。
他人に対するスタンスを、大きく変えた日でもあります。
今、この文章をご覧になっているあなたにとっても、この「3月11日」という日は特別な感情を掻き立てる日ではないでしょうか?
「2011年3月11日」という日
すでにお気づきの方も多いでしょう。
「3月11日」とは、東日本大震災の発生した日。
今日で15年になります。
私にとってこの日は、今の仕事において大きな変化があった日です。
すでに個人事業を始めていましたが、それまでは受け身であり「頼まれたことを、そのままやる」感覚でした。
ですが、この日を境に「今の私が役に立てる動きは、何だろう?」を考えるようになりました。
ただし、考えるだけでは「外側の世界」は何も変わりません。
そこで積極的に提案し、場合によっては先回りするようになったのです。
何人かで組織を形成して仕事をしていたのですが、被災の影響がなかったのは私だけ。
他の方は「大きな揺れを感じた」「物理的な被害を受けた」という方ばかり。
自然と、新米ながら最も身動きが取れる私を中心として、業務が回るようになりました。
被災地に足を運んで、見えたこと
先にお伝えしておきますが、私が現地に出向いたわけではありません。
「揺れをまったく感じなかった=遠い」ですし、公共交通機関は完全に麻痺していましたので。
ですが、4月に入ってからは、人と物の流れが少しずつ戻ってきました。
そして、この時点で実行可能な組織として出した施策が「被災地の人に知恵を」だったのです。
私は「知恵を」の担当ではありませんでしたが、それでもやるべきタスクは山のようにありました。
正直な話「それって、無理だよね」と諦めかけた時も、一度や二度ではありませんでした。
ですが、すでに現地では、私が所属していた組織の持つ「知恵」を求める人が、行列を作って待っている状態。
やるしか、ありませんでした。
支援物資や人的サポートが多い中、おそらくこの組織の「知恵を」は異彩を放っていたでしょう。
だからこそ、被災した方の中に存在した、知恵を求める方にとっては救いだったのだろうと、当時を振り返って思います。
(すみません、これ以上の情報を出すと、私が誰なのかが分かってしまいます)
「今日も、生きている」に、ただ感謝の念を捧げる
先ほどの「知恵を求めた」方の中からは「自分は大丈夫だったけれども、知人を3人も辿れば大切な方を亡くされた方はいるだろう」とのお声をいただきました。
また「こんな大変な時に、あえて批判を受ける可能性のある『知恵』を届けてくれて、本当にうれしかった」とも、おっしゃっていました。
普段は家事の効率化やお金、働き方といった、身近なテーマを選んでお届けしています。
なのですが、今日だけはもう何ヶ月も前から「3月11日はこれを書こう」と決めていました。
それほどまでに、私にとってこの日は特別なのです。
今朝、何事もなく目覚めたことは、稀有なことなのだ。
「今朝」という日を切望していたのに迎えることができなかった人は、どこかに必ずいるのだ。
キーボードを打っている、この瞬間ですら、胸が締めつけられるような想いがしています。
「今日を大切に生きる」
あの日以来、毎年3月11日を迎えるたび、必ず口にする言葉です。
