向上心の弊害

「今の自分より、もっと良くなりたい」

この願いを、昔の私は本心から持っていた。
今もなお、気をつけていないとこの願いがすぐに顔を出す。

だが、少し前に気づいてしまった。
向上心のせいで、私は不幸になっているのではないかと。

目次

向上心の行き着く先

色合いの濃淡はあるが、私はこれまでの人生で一貫して自己向上を目指してきた。

もっと、成績を上げたい。
もっと、上司に褒められたい。
もっと、いいお母さんと言われたい。
もっと、業績を伸ばしたい。

それなりに努力はできていたのだろう。
私は様々な「もっと」を達成してきた。

しかし、いつしか際限なく「もっと」と追い求め、80点の自分が許せなくなっていた。
自分に対して「ダメ」と言い続けていたのだ。

これでは、生きていて楽しいはずがない。

とうとう1週間ほど前から、家族が見て分かるくらい、深く落ち込み続けている。
表情、そして会話に覇気がないのだ。

明日を迎えられなかった人に、思いを馳せる

向上心の暴走から来た「私は不幸だ」という思いから、ある出来事を思い出した。

数ヶ月前、私は古くから付き合いのある起業仲間を亡くしている。
原因は、胃がん。
発見された時には、既に末期だったそうだ。

朝になれば目覚めるのは、健康であれば当たり前に思えるだろう。
その一方で、彼女のように「つつがない朝」を渇望していた人が、数多くいるはずなのだ。

「朝が来たので、目が覚める」
ごく普通の出来事が、いかに幸せなことなのか。
私はすっかり忘れていたようだ。

向上心を持つのが悪いと主張するつもりは、まったくない。
しかし、心の奥底に「私は幸せだ」という感覚があって初めて、向上心が効力を発揮するのだと、今は思っている。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

目次