体重を記録して20年、ここから気づいたこと

私は毎日、入浴前に体重計に乗り体重と体脂肪率を計測している。
結果は小さなノートに記録しており、その冊数は10冊を超えた。

1日たった1行の、小さな習慣。
しかし、私が得た効果は計り知れない。

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体重を測ることで得た効果

毎日、体重の変化を目で見て、記録するようになった私には、様々な変化が起きた。

何と言っても大きいのが、「自分を見る」に意識が向くようになったことだ。
体調の変化はもちろん、気持ちの変化も細かく感じるようになった。

さらに途中から、お通じの記録も取るようになった。
結果として、「食べた物」という入口から「お通じ」という出口までの観察が可能になり、食生活の改善に役立っている。

また、数字としての体重と、主観として持つ「身体の重さ」が大きくずれていることに、非常に驚いている。

「今日は食べすぎたから、体重は増えているだろう」と思いつつ体重計に乗ると、前日と変化がない時がある。
その一方で、「今日はそれほど食べていないはず」と期待しているのに、体重が増えている日もあるのだ。

ここから私は、自分の持つ感覚のあやふやさを自覚するようになった。
「きっと〇〇に違いない」は、事実を確認するまでは都合の良い妄想に過ぎないのだ。

習慣の持つ恐ろしさ

冒頭で話した通り、私は体重を測って、その後入浴する。

体重計に乗る前の行動を過去へさかのぼると、こうだ。

体重を測る
←洗濯物たたみ
←夕食の片付け
←食事
←夕食の準備

つまり、夕食の準備から入浴まで、一連の動作が続いているというわけだ。

ここで重要なのは、体重を測る行為以外は日常の動作であること。
ほぼ毎日のように繰り返される行動、つまり習慣であることだ。
これら一連の行動に「体重を測る」を混ぜることで、毎日の計測が習慣になった。
今ではすっかり当たり前になり、体重計に乗らずに風呂場へ行こうとすると嫌悪感が私を襲う。

たった1日体重を測らなくても、生きていく上では何の不都合もない。
にもかかわらず、まるで何者かに操られたかのように、私は体重計に吸い寄せられるのだ。

この「何者か」の正体こそが、習慣である。

自分の足で立つことができる間は、おそらく私はこの習慣を持ち続けるだろう。

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この記事を書いた人

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