「発信×AI」どこまで関与させて良いのか?

日々、SNSをチェックしていると「これはAIだろうか」と思う時がある。

キレイなだけで「その人らしさ」が皆無の文章。
どこにでも落ちている情報が、ただ詰め込まれただけの図解。
発信数は多いが「それなり」の内容だけを並べたアカウント。

私はこれを「悪」とは思わない。
だが、問題がないとも考えない。

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AIに任せて良いこと

文章を書き上げた後の添削は、AIが最も得意とすることだ。
実際に私も、書いた後にはAIによる添削を受けている。

毎回のように「文章がねじれている」「上から目線だ」と指摘され、イライラしながら修正する毎日だ。

また、擬似的な他人の目線からのチェックも、AIに任せて良い。

自分にとってどれほど素晴らしい投稿であっても、あくまでも独りよがりな世界の話。
AIの確認を通じて説明不足や論点の穴を発見できた事例は、私が無数に持っている。

人間の「目」でしかできないこと

「何を発信するのか」のテーマ収集と設定は、AIに丸投げしてはならない。

インプレッションをはじめとした数値が伸びる投稿を作るのは、AIの得意技だ。
だが、そこに「わたし」は存在するのか。

さらに、既存フォロワーとの関係性に配慮した投稿文も、AIには不可能である。

自分のアカウントに、どのようなフォロワーがいるのか。
この情報を最もよく知っているのは、アカウントの持ち主である人間だからだ。

AIに運用を任せたSNSに、人の心を動かす力はない。
これが20年近く、SNSに生息し続けている私の実感だ。

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この記事を書いた人

考えていることと、いま受けている仕事はプロフィールに置いています。

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