他人の目が気になって自分の選択を変える人は、世の中にいくらでもいる。
「あの人がどう言うか不安だから、黙っていよう」
「ご近所の目があるから、我慢しよう」
「評価が下がるから、時間は守ろう」
こういった心理の裏側に、私は他人への期待を読み取っている。
他人の目が気になる人の抱える問題
他人の気持ちを考慮した発言や行動の裏には、相手への期待がある。
これが私の見立てだ。
他人の目を気にする人(以下Aさん)には「私はあなたを優先したのだから、あなたも私のために動くのが当たり前」という期待があるのだ。
だが、相手はそのように判断していない場合がある。
「あの人は私にとって都合が良いように動いた」に過ぎない。
行動とそこからもたらされた結果は受け取るが、Aさんに対する返礼の必要性をまったく感じていない可能性が高い。
これを、Aさんは「裏切り」と捉える。
「あなたのためにやったのに」と批判するのだ。
しかし、私はこれをお門違いと捉えている。
自主的に相手を優先しただけであり、相手の意思を確認していないからだ。
あらゆる人間は、自分以外の誰かのためには生きていない。
そして、相手の行動や評価を変えることも不可能である。
自分の人生を取り戻すためにできること
ならばどうするか?
その答えは、選択の根拠から「他人の目」を除外することだ。
自分のために生きてくれる他人がいない以上、他人の評価軸に合わせても何も返ってこない。
これを承知で他人に人生を預けるのなら、それはそれで「選択」だ。
「自分がどこにもない」状態と引き換えに、他人に人生の全責任をなすりつけることができるだろう。
ただし、ほんの少しでも違和感があるのなら、他人の目を気にする人生を捨てるのが答えだと私には思える。
人間は他の誰かの人生に対して、1ミリも責任を持っていない。
これが、現実だ。
