今からいろいろ書いていくわけですが、まずはこちらをご覧ください。
主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。
こちらは「ニーバーの祈り」と呼ばれるもの。
ルーツはお祈りの言葉ですが、今では人生訓として幅広く引用されています。
あなたもどこかで目にしたことが、あるかもしれませんね。
今から私が言いたいことはニーバーの祈りの中に集約されているものの、これだと抽象度が高くて「?」ですよね。
というわけで、今の日本で生きていて、私が特に気になっている場面に当てはめてみようという試みを行います。
「自然」には逆らえない
というわけで、まずはここから。
ここでいう「自然」とは、
- 文字通りの「自然」
- 人間も「動物」であること
主にこのふたつを指していると考えてください。
夏の暑さに対抗しようとした人間は、ありとあらゆる対応策を講じてきました。
ですが、そのたびに「自然」は人間の努力を嘲笑うかのごとくアップデートを続けている、と捉えるのは、私だけでしょうか?
あなたが何歳なのかは分かりませんが、子供の頃と今をくらべてください。
明らかに「暑く」なりましたよね!
もっと身近な例で言うと、睡眠です。
人は眠らないと、とにかく調子が悪くなりますよね。
頭の回転は鈍くなるし、身体もダルい。
あと、普通に眠いです(笑)
これもまた、変えられないものを無理やり変えようとした結果。
「睡眠時間を削って、より多くのタスクをこなそう」は、徒労でしかないのです。

社会に「反抗」するのは無駄!
挑戦的な言葉で始まりましたが、これ、マジです!
社会の流れに逆らおうとすると、あらゆる場面で時間やお金、人生のエネルギーを浪費します。
たとえば、今の日本では男尊女卑が色濃く残っていることを感じる場面が、依然として多いです。
「男性がメイン、女性は補助扱い」という企業は、古い体制の会社を中心に残っています。
年功序列も、同じ文脈で語れるでしょう。
特に私が気になるのが、出産後の女性が社会復帰する場面です。
くわしい話は以前にまとめたので、こちらをご覧ください。

歴史を紐解けば「男性は外で食料を確保する、女性は家の近くで木の実を集めながら、子供を育てる」が、ずーっと続いていたのです。
「長らく継続してきた社会の仕組みである」ということは、そこには合理性や一定の納得感があったはず。
子供を出産して間もない母親が「塒(ねぐら)の外で」食料を確保するシステムに、そもそも人間の社会はできていなかったのではないか?
これが私の率直な感覚です。
そんな私の出した結論も記事にしてありますので、合わせてどうぞ!

どうせ無理して職場復帰しても、あなたを待っているのは男性上位の社会構造から生まれた「マミートラックという変えられない現実」なのですから。
生きている間に変えられない「事実」に意識を置かない
ニーバーの祈りから始まり、自然に逆らう無意味さと現在の日本が抱える構造的な「事実」について書いてみました。
どちらも耳に痛い言葉だったことでしょう。
人生は有限であり、いつかは「死」を迎えます。

「限りある時間を楽しく過ごす」という目的において、自分の力で変えられない物事に囚われることに、私は意味を感じません。
自分の手の内で変えられる事実にだけ、真剣に向き合う。
変えられない物事には、自分の考えや行動を変えて柔軟に対応する。
このふたつが無理なくできるようになれば、人生上級者です。
私もまだまだ発展途上ですので、あなたと一緒に少しでも上を目指したいと思っています。
