まず最初に、以下の状態や行動を容認する記事ではないことをお伝えします。
- 身体的な虐待(暴力)
- 心理的な虐待(言葉で傷つける)
- 育児放棄、必要な世話を怠る(ネグレクト)
この先を読み進めることで、不快な思いをする場合もあるかもしれません。
少しでも不安を感じたのでしたら、ここで読むのを止めてください。
前提条件をお伝えしたので、ここから本題に入ります。
「子育て」と「自分の人生」どのように位置づけるか?
「子どもの命や心に危険が及ばない」
このルールが守れる範囲内であれば、私はもっと子育てに対して楽に構えて良いと思っています。
子どもがいるからといって
「母親がいなくては」と、自分の友達と会うことを我慢している
美容院に行ったり、カフェでの息抜きに罪悪感を持つ
塾や習い事の送迎に時間が取られると思いつつ、通わせている
こんな気持ちを抱えて子育てしなくてもいいですし、過剰に行動を抑える必要もないと、私は考えます。
つまり
子育て中は、子どもが最優先。「母親自身のことは後回しにするべき」とは思わない
というわけです。
私の母は「子ども最優先、自分のことは後回し」タイプの人間でした。
大きい肉は「夫(私の父)→子どもたち(私と妹)→余ったら自分(たいてい、余らない)」でした。洋服を買うことも滅多になくて、何年も同じアイテムしか着ていないという有り様。
「おかあさんは、わたしのせいで、ごはんも、おようふくも、がまんしてるんだ」
「わたしは、わるいこなのかか?」
こんな悲しい思いをしていたことを、今でもハッキリ覚えています。
子育てを事業と捉えることで、健全な立ち位置が見えてくる
話を分かりやすくするために、ここで「会社の事業」という視点を取り入れてみましょう。
子どもを育てるのは、会社で言うところの一大事業のようなもの。
会社の命運を賭けた、ビッグプロジェクトそのものです。
だからといって、会社が他の事業をすべて放置して、たったひとつの事業に心血を注ぐのか?
と言えば、たいていの場合でその答えは「No!」でしょう。
ひとつきりの事業にすべてのリソースを集中させて、もしも大失敗したとしたら・・・
取り返しのつかない事態になるのが、ありありと想像できますよね。
子育ても同じようなものだと、私は考えます。
たったひとつの物事、つまり「子育て」だけに集中したとしたら、他の事業への目配り、気配りが手薄になるのは間違いありません。
そして「他の事業」の中には、母親自身の状態も含まれるのです。
母親の心と身体が健やかでなければ、まともな子育てができるはずがありませんよね!
ですので、声を大にして言います。
「子育て」は聖域ではない
と。
「子どものために」という大義名分を掲げて、母親が自分自身を蔑ろにする。
この状態に対して、私は明確に反対の立場を取ります。
子育てを、もっと「楽しもう」
先ほど触れた通り、私は母の選択と行動によって罪悪感を植え付けられた経験を持っています。
その結果なのか、私自身の子育てはとてもあっさりとした「事業」になりました。
私、そして我が家の子育てについては、追々、書いていく予定です。
ですので、ここでは大原則だけお話しして、記事を締めくくります。
- 子どもを対等な「人間」として、関係を築く
- 自分のダメなところを見せる、弱音を盛大に吐く
- 長じては、子どもを相談相手とする
最後については、ここ3年ほどで新たな方針として追加したものです。
- 娘にはお金関連を(その方面の専門家なので)
- 息子には人間関係について(どこに行ってもすぐに溶け込める、人間関係の達人!)
こんな関係になることができたのも、子どもたちが幼い頃からの「方針」が功を奏しているのでしょう。
心から「子育ては楽しい!」と言うことができる私は、本当に幸せです!
