昔から、私には感情に対してある思いを持っている。
「私には感情がない」
ロボットではないので、「これは違うだろう」と考えている。
その一方で、感情を確認しようとしても「何もない」としか思えないのだ。
「感情がない」の裏に隠れているもの
私が自分には感情がないと思っていたのには、理由がある。
他人から「今の気持ちは?」と聞かれても、出てくる言葉が状況を示すものばかりだからだ。
一般的に「うれしい、幸せ」とされる出来事に対して質問された時は、その状態に至った経緯を。
ネガティブなことであれば、失敗した原因と今後の対策しか言葉にしなかったのだ。
発した言葉だけ見れば、感情はない。
しかし、言葉になる前には感情があったのかもしれない。
言葉にする前に存在したであろう、言葉未満の何か。
ここに感情が隠れていた可能性に行き着いたのだ。
私に「感情」がなくなるまで
誰かと会話をしたり文章を書く際、私は頭の中にあるイメージを言葉に変換している。
便宜上「イメージ」としたが、映像とは限らず、モヤモヤとした霞のような存在だ。
そして、この霞は黒くて汚いものだと私には見えている。
霞という実体を持たないものに形を与える以上、情報が正確に変換されないのは致し方ないのだろう。
だが、頭の中にある霞の中身を誰かに伝えたい時、私には言葉以外の方法がない。
この記事を書くにあたり、AIと事前に会話して構成が決まった。
会話の途中で、私は感情に定義がなく書きにくい、と訴えた。
そうしたところ、記事に必要なのは定義ではなく何を感情と思っているかの方だと、AIに言われた。
会話をさらに進めた結果、AIからの添削に腹が立つ理由は、自分の書いた文章を否定されたことに対する反発だったと分かった。
自分が選んで実行している添削への反発に、合理性は存在しない。
ここで私は、合理的ではない感情は持ってはならないと決めてしまっていたのだ。
霞は黒く、汚いので他人に見せてはならない。
言葉にして他人に見せてはならないものは、感情ではないと判定されてしまった。
私は「黒い感情」を隠している
私にとって他人に見せてもよい感情は、綺麗なものに限られている。
喜び、幸せといったものだ。
ただし、私がこれらの感情を持つ回数は少ない。
自分が整っていないという思いを強く持っており、整っていない私が持ってはならない感情だと考えている。
一方で隠すべき感情は、怒りや悲しみといった合理性に欠けたもの。
色で表すなら「黒」である。
怒りや悲しみを見せたくないのは、これらを自分の弱みとして捉えているから。
弱みを公開すると、誰かに付け入られる隙になる。
自分を守る盾を得るために、感情であるかどうかの判定が厳しい。
これが私の選択である。
開示しても差し支えない綺麗な感情だけを「感情」として数えているので、「私には感情がない」となっているのだ。
